日本ペンクラブとは

日本ペンクラブは、国際P.E.N. の日本センターとして、言論・表現・出版の自由の擁護、文学の振興と文化の国際交流、世界平和への寄与を目的とした団体です。

 

[基本理念]

国際P.E.N.は、文学・文化に関わる表現とその普及にたずさわる人々が集まる唯一の国際組織です。創立は1921年にさかのぼります。
日本ペンクラブはその日本センターとして、「国際P.E.N.憲章」に基づき、「文学の普遍的価値の共有」「平和への希求と憎しみの除去」「思想・信条の自由、言論・表現の自由の擁護」を基本理念として活動してきました。

国際P.E.N.も日本ペンクラブも設立の背景には、戦争に対する危機感がありました。戦争に至る社会と世界は、いつ、どこにおいても味方と敵を作りだし、生命と人権を軽んじ、言論・表現の自由を抑圧する――そのことを身に沁みて知った文学者たちが、国境と言語、民族と宗教の壁を越えて集まったのが始まりです。
私たちは文学と文化的表現に立脚しながら、あらゆる戦争に反対します。いかなる国の核兵器と核実験も容認しません。そして、生命と人権、言論・表現の自由を守るための活動をつづけています。

 

[P.E.N.憲章]

日本ペンクラブとその会員は「国際ペン憲章」に基づき、行動します。

「国際ペン憲章」

P.E.N.憲章は国際大会(複数)で採択された諸決議案を基盤とするものであり、次のように要約されるであろう。
P.E.N.は以下を確認する。

  1. 文芸著作物(literature)は、国境のないものであり、政治的なあるいは国際的な紛糾にかかわりなく人々の間で共有する価値あるものたるべきである。
  2. 芸術作品は、汎く人類の相続財産であり、あらゆる場合に、特に戦時において、国家的あるいは政治的な激情によって損われることなく保たれねばならない。
  3. P.E.N.の会員たちは、諸国間のよき理解と相互の尊敬のためにつねにその持てる限りの影響力を活用すべきである。人種間、階級間、国家間の憎しみを取り除くことに、そして一つの世界に生きる一つの人類という理想を守ることに、最善の努力を払うことを誓う。
  4. P.E.N.は、各国内およびすべての国の間で思想の交流を妨げてはならないという原則を支持し、会員たちはみずからの属する国や社会、ならびに全世界を通じてそれが可能な限り、表現の自由に対するあらゆる形の抑圧に反対することを誓う。P.E.N.は言論報道の自由を宣言し、平時における専制的な検閲に反対する。P.E.N.は、より高度な政治的経済的秩序への世界が必要としている進歩をなしとげるためには、政府、行政、諸制度に対する自由な批判が不可欠であると信ずる。また自由は自制を伴うものであるが故に、会員たちは政治的個人的な目的のための欺瞞の出版、意図的な虚構、事実の歪曲など言論報道の自由にまつわる悪弊に反対することを誓う
「国際ペン憲章」英文
 
 

[歴代会長メッセージ]

桐野夏生第18代会長からのメッセージ 「若い人と問題意識の共有を」

このたび日本ペンクラブの会長に就任いたしました、作家の桐野夏生と申します。女性初の会長ということですし、長い歴史を持つペンクラブという組織を代表することに、大きな責任を感じております。皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

  ペンのP はPoets(詩人・俳人・歌人)、Playwrights(劇作家)、E はEditors(編集者)、Essayists(随筆・評論・翻訳・学者)、そしてN はNovelists(作家)。これらを合わせて、「P.E.N.」と言い習わしております。
 つまり、文筆を生業としている者が、言論の自由、表現の自由を守るために、そして、世界の平和を希求するために集まり、言語の違いを超えて連帯しよう、という高邁な理想を持った組織であります。このことについて、私の年代は承知しておりますが、今の若い人の中には、知らない方も多いかもしれません。
 国際ペンがロンドンで生まれたのは、1921 年。第一次世界大戦が契機でした。日本での誕生は1935 年です。以来、第二次世界大戦をくぐり抜け、90 年近い歴史を刻んで参りました。それゆえに、良くも悪くも、組織としては堅固になった、とも言えましょう。
 しかしながら、今、世界はコロナ禍という大きな災厄を迎えております。ワクチンの普及によって、いずれは克服されるでしょうが、この災厄は世界中に大きな変化をもたらしました。
 それは、人々のコミュニケーション方法や仕事の在り方を、ドラスティックに変えてしまったことです。会議や授業はオンラインになり、会社に毎日通う必要もなくなりつつあります。もしかすると、紙による伝達方法も消える時が来るかもしれません。それも早く。
 そんななか、若い人の間ではSNSを使って繋がり、差別や分断、そして貧困と闘う術を見つけようと、草の根的な活動をしている人も多くいます。その気軽さと、誰でも参加できる身軽さは羨ましくもあります。
 これからのペンも、そういう若い人たちと問題意識を共有していることをアピールしていくことが大事なのではないか、と感じております。

 

吉岡忍第17代会長からのメッセージ 「自由――破局を免れる唯一の道」

 国際P.E.N.の創設にも、日本ペンクラブの創立にも、戦争が深く関わっています。敵への憎しみをあおり、侮蔑し、自分たちの正しさだけを言い募り、内なる異論を排除する風潮は、勝っても負けても、社会と文化を痩せ細らせる。多大な犠牲を払い、苦い経験を経て、先人たちはそう気づき、そこから平和への希求と言論表現の自由とは一体のものである、という教訓を引き出したのでした。

 国際P.E.N.も、その支部としての日本ペンクラブも、もともとは文学者の活動でした。しかし、マスメディアの発達、創作活動の多様化、国境を越えて広がる情報テクノロジーの進展によって表現の場は飛躍的に拡大し、言論表現の自由は市民社会全体に関わる最重要課題になってきました。
 他方で、今日の世界には、グローバルなヒト・モノ・カネの移動がもたらしたさまざまな荒廃があり、戦争とテロの応酬もあります。これらが呼び起こす人々の不安は、自由よりも安全安心を求める趨勢となって、市民社会の姿を一変させないともかぎりません。
 それでもなお、いや、それだからこそなお、私たちは一人ひとりが自由に考え、自由にものが言え、自由に創作できる社会の実現をめざしたい。それこそが何よりの安全安心であり、ほんとうの豊かさであり、また破局を免れる唯一の道だと信じるからであります。

 

浅田次郎第16代会長からのメッセージ 「人類の利益」

国際P.E.N.の発足は第一次世界大戦後の1921年です。そして、私たち日本ペンクラブは1935年に、この国際P.E.N.の日本センターとして設立されました。以来、第二次世界大戦のさなかにも、交流こそ断たれたものの日本ペンクラブは文筆家の良心として存在しつづけ、80余年の歴史を刻んできました。

 けっして知識人のサロンではありません。偏った思想を持つ団体でもありません。私たちのめざすところは常に、言論・表現の自由と世界平和の希求です。ペンを握る私たちには、さまざまな原因によって引き起こされる暴力や戦争を阻止する使命があります。
 そうした高邁な理想を掲げる限り、会員には個人的利益などなく、ご支持・協賛いただく企業や新聞社・出版社等の賛助会員にも直接の利益はないかもしれません。しかしながら国際P.E.N.も日本ペンクラブも、多くの人々の理解と情熱によって、長い歴史を今日まで刻んできました。
 私たちの利益は、いつの時代にも、人類の利益でなければなりません。時の流れとともに、ともすれば人間は世界の平和よりも国家の繁栄を、社会よりも個人の利益を希むようになりました。しかし、こうした趨勢のなかで、日本ペンクラブはたゆみない活動をつづけています。私たち文筆家には使命があり、私たちの握るペンには、どのような兵器にも勝る実力があると信ずるがゆえです。

日本ペンクラブ歴代会長の言葉から

 歴代会長、島崎藤村、中村光夫、井上靖、井上ひさしのメッセージです。

島崎藤村

 どんなに私たちが芸術を通して世界の人に結びつきたいと思っても、もし互いに交渉する道がなかったら、何によってそれが出来るでありましょうか。私は会員諸君が、この新しい機運を看過さないで、自国の文学の上にも生気をそそぎ入れられることを望んでやまないのであります。
(1935年/会長就任時の挨拶)

中村光夫

 ペンクラブを言論の自由を守る会にしたい。言論の自由は、ペンクラブの外でも内でも同じこと。「言論の自由」についての討論がいつでもできるようにしたい。だからといって、楽しみのない会にしたいとは思わない。楽しみのなかに大事なもの、「自由」を守る会にしていきたい。
(1974年/会長就任時の挨拶)

井上靖

 もう自分一人の幸福を求める時代は終わった。他の人たちが幸福でなくて、どうして自分が幸福になれるだろう。いまこそ、『孟子』の葵丘会議の故事にある、黄河の水を隣国に流し込んだり、兵器代わりに使ったりすることのないよう祭壇の前で誓いの盟約をした英知にならって、人間を信じ、人間がつくる人類の歴史を信ずる文学者の立場に立ちたい。
(1984年/国際P.E.N.東京大会開会式での挨拶)

井上ひさし

 私は日本国憲法を大事に思う一人として、このペンクラブ、つまり国際P.E.N.の一員であることに大変誇りを持っています。つまりペンクラブに属することと、日本国国民であるということは、「永久平和」というところでスムーズに一つに結び合って、融け合うわけです。ですから、日本国民であることと、日本ペンクラブの一員であることに、私は大変に名誉と誇りを感じております。
(2004年/京都例会での講演)