日本ペンクラブ 小史

日本ペンクラブ 小史

歴代日本ペンクラブ会長

 

  在任期間
代 島崎藤村    1935〜1943(昭和10〜18)
第2代 正宗白鳥    1943〜1947(昭和18〜22)
第3代 志賀直哉    1947〜1948(昭和22〜23)
第4代 川端康成    1948〜1965(昭和23〜40)
第5代 芹沢光治良    1965〜1974(昭和40〜49)
第6代 中村光夫    1974〜1975(昭和49〜50)
第7代 石川達三    1975〜1977(昭和50〜52)
第8代 高橋健二    1877〜1981(昭和52〜56)
第9代 井上 靖    1981〜1985(昭和56〜60)
第10代 遠藤周作    1985〜1989(昭和60〜平成元)
第11代 大岡 信    1989〜1993(平成元〜5)
第12代 尾崎秀樹    1993〜1997(平成5〜9)
第13代 梅原 猛    1997〜2003(平成9〜15)
第14代 井上ひさし    2003〜2007(平成15〜19)
第15代 阿刀田高    2007〜2011(平成19〜平成23)
第16代 浅田次郎    2011〜2017(平成23〜平成29)
第17代 吉岡 忍    2017〜2021(平成29〜令和3)
第18代 桐野夏生    2021~2025(令和3~令和7)


小史より(創立〜2010年)

日本ペンクラブは1935年に創設されました。日本ペンクラブに集う表現者達の熱い思いによって、その灯火を掲げつづけられ、表現の自由と平和への訴えが続けられてきました。

  •  1935年(昭和10年)
    外務省の文化事業部関係者と国際文化振興会の斡旋により、11月26日に創立総会を開催。初代会長に島崎藤村、副会長に有島生馬、堀口大學、主事に勝本清一郎、会計主任には芹沢光治良が就任。当時の会名は「日本ペン倶楽部」。事務所を銀座西8丁目の日吉ビルに設置。
  •  1936年(昭和11年)
    9月、第14回国際ペン・ブエノスアイレス(アルゼンチン)大会に日本ペン公式代表として島崎藤村会長、有島生馬副会長を派遣。事務所を西銀座5丁目共同建物ビルに移す。
  •  1937年(昭和12年)
    5月、日本ペン倶楽部は常任理事センターに推される。6月、第15回国際ペン・パリ大会に有島生馬、久米正雄を派遣。日本ペン倶楽部は常任理事国に選ばれた。11月、清沢冽をロンドンの国際ペン連合常任理事会に派遣。事務所を西銀座5丁目のマツダビルに移す。
  •  1938年(昭和13年)
    7月、勝本清一郎に代わり、中島健蔵が常任理事に就任。
  •  1939年(昭和14年)
    9月、第二次世界大戦が勃発。
  •  1940年(昭和15年)
    ストックホルムで開催予定の国際ペン大会中止。
  •  1941年(昭和16年)
    7月、ロンドンにおける第17回国際ペン大会に代表派遣の要請に応じることは不可能な局面にある。常任理事中島健蔵は「もはやわれわれは連絡することすら不可能な状態にある。しかしわが日本ペン倶楽部はなお存在する」と返信。但し例会は続行(この年6回)。
  •  1942年(昭和17年)
    中島健蔵常任理事が徴用され、夏目三郎書記長も応召され、日本ペン倶楽部は活動を停止。事務所を元の日吉ビルに移す。
  • 1943年(昭和18年)
    8月、島崎藤村会長死去。11月、第2代会長に正宗白鳥が就任。事務所を丸ノ内3丁目のエーワンに移す。
  •  1945年(昭和20年)
    8月、太平洋戦争が終結。
  •  1946年(昭和21年)
    国際ペンは戦禍の中から活動を始め、8月、ストックホルムで戦後初の第18回国際ペン大会を開催。日本ペンクラブも再建の相談が文化人の間で進む。
  •  1947年(昭和22年)
    2月、旧メンバーを含む文化人多数の手によって「日本ペンクラブ再建大会」を開催。「日本ペンクラブ」の名称や新規約を定め、第3代会長に志賀直哉、副会長に辰野隆、幹事長に豊島与志雄を選出。事務所を京橋2丁目明治製菓ビルに置く。6月、第19回国際ペン・チューリヒ(スイス)大会が開かれ、スイス滞在中の笠信太郎がオブザーバーとして出席。日本ペンクラブの国際ペン復帰を要請。大会テーマ「文学者と政治」。
  •  1948年(昭和23年)
    6月、第20回国際ペン・コペンハーゲン(デンマーク)大会で日本ペンクラブの国際ペン復帰が承認される。同6月、第4代会長に川端康成が就任。
  •  1949年(昭和24年)
    9月、第21回国際ペン・ベニス(イタリア)大会開催。日本ペンクラブは代表派遣できず。
  •  1950年 (昭和25年)
    8月、第22回国際ペン・エジンバラ(イギリス)大会に代表阿部知二、北村喜八を派遣。大会テーマ「今日の戯曲」他。
  •  1951年(昭和26年)
    6月、第23回国際ペン・ローザンヌ(スイス)大会に代表芹沢光治良、石川達三を派遣。オブザーバー池島信平が参加。大会テーマ「歴史と文学」。
  •  1952年(昭和27年)
    6月、第24回国際ペン・ニース(フランス)大会に代表小松清、丸岡明を派遣。オブザーバー田村泰次郎、平林たい子らが出席。テーマ「現代青年と文学」。
  •  1953年(昭和28年)
    1月、チャタレイ裁判東京高裁有罪判決に対し反対と抗議の声明を発表。
    3月、ペン『会報』再刊第1号を発行。6月、第25回国際ペン・ダブリン(アイルランド)大会に代表平松幹夫、真杉静枝を派遣。オブザーバー火野葦平、米川正夫が出席。テーマ「広く使われていない国語をもつ国々の文学」。
    11月、日本文学翻訳委員会(CTJL)が発足。事務所を中央区京橋2丁目の文藝春秋新社京橋分室に移転。
  •  1954年(昭和29年)
    6月、第26回国際ペン・アムステルダム(オランダ)大会に代表森田たまを派遣。テーマ「文学における現代的諸実験」。
  •  1955年(昭30年)
    2月、アジアペン大会(東パキスタン、ダッカ)に代表高見順、竹山道雄を派遣。テーマ「宗教と文学」。6月、第27回国際ペン・ウィーン(オーストリア)大会に代表北村喜八、芳賀檀を派遣。テーマ「今日の表現としての演劇」。この大会で芳賀の私案として出された1957年の国際ペン大会東京招致案が支持され、9月に準備委員会が発足。
  •  1956年(昭和31年)
    2月、事務所を中央区銀座東5丁目の明札ビルに移転。3月、評議員会で国際ペン大会東京招致を正式に決定。4月、ロンドンの国際ペン執行委員会に代表松岡洋子を派遣。7月、第28回国際ペン・ロンドン(イギリス)大会に小牧近江、松岡洋子を派遣。オブザーバー佐藤朔、田村泰次郎が出席。テーマ「著作家と公衆―コミュニケーションの諸問題」。同大会で第29回国際ペン東京大会開催が満場一致で可決。9月、年次総会で組織を社団法人に改め、会長に川端康成、副会長に青野季吉、芹沢光治良、専務理事に立野信之、事務局長に松岡洋子が就任。
  •  1957年(昭和32年)
    1月、丸ビル5階の中央公論社分室に「国際ペン東京大会」準備事務局を開設。4月、社団法人認可。ロンドンの国際執行委員会に川端康成、松岡洋子を派遣。「チャタレイ判決」を不当とする抗議声明を発表。9月2日〜8日、第29回国際ペン東京大会を東京と京都で開催。26カ国30センターから代表者171名、日本ペン会員208名が参加。日本代表は桑原武夫、高見順。大会テーマは「東西文学の相互影響」。12月、日本ペンクラブ戦後再建10周年記念パーティーを開催。
  •  1958年(昭和33年)
    1月、千代田区有楽町2丁目の朝日新聞東京本社内に事務所を移転。2月、高見順を専務理事に選任。3月、川端康成が国際ペン副会長に選出される。9月、パリの国際執行委員会に伊藤整と滞欧中の今日出海を派遣。10月、「警察官職務執行法改正案に反対する」声明を発表。11月、ソ連人作家パステルナークの『ドクトル・ジバゴ』がノーベル文学賞辞退を余儀なくされた事件に対し「遺憾の申し合わせ」を発表。
  •  1959年(昭和34年)
    7月、第30回国際ペン・フランクフルト(ドイツ)大会に代表高橋健二、西村孝次を派遣。ゲスト・オブ・オナーに芹沢光治良。大会テーマ「科学の時代における文学」。
  •  1960年(昭和35年)
    6月、日米新安保条約の批准承認に対する抗議声明を発表。7月、リオデジャネイロとサンパウロ(ブラジル)で開かれた第31回国際ペン大会に代表大和資雄、湯浅克衛を派遣。ゲスト・オブ・オナーに川端康成。テーマ「東西文化の相互評価、国民文学と世界文学」。
  •  1961年(昭和36年)
    3月、「嶋中事件」に対し、「言論表現の自由を暴力で抑圧することに反対する声明」を発表。6月、鎌倉山の扇湖荘(旧長尾美術館)で日本ペンクラブ創立25周年記念園遊会を開催。9月、韓国の朴国家再建最高会議議長宛に、韓国ジャーナリスト3名の死刑判決に対し寛大な配慮を要請する電報を発信。ソ連の核実験再開に抗議する電報をフルシチョフ首相に発信。
  •  1962年(昭和37年)
    4月、伊藤整を副会長に選任。5月、韓国ペン主催のシンポジウムに平林たい子、湯浅克衛が出席。12月、バギオ(フィリピン)で開かれたアジア地域ペン大会に平林たい子、亀川正東が出席。
  •  1963年(昭和38年)
    5月、ブライトン(イギリス)の国際ペン執行委員会に代表沢野久雄を派遣。10月、ランス(フランス)の国際ペン執行委員会に代表倉橋健、鈴木力衛を派遣。
  •  1964年(昭和39年)
    4月、「東京オリンピック記念日本ペンクラブ文学賞」設定。日本を題材とした文学作品を外国人から公募。6月、第32回国際ペン・オスロ(ノルウェー)大会に高橋健二、平林たい子を派遣、ゲスト・オブ・オナーに川端康成。大会テーマ「作家と意味論―概念・意味・表現としての文学」。11月、バンコク(タイ)のアジア地域ペン大会に代表西村孝次を派遣。オブザーバー蕗沢忠枝。
  •  1965年(昭和40年)
    3月、「東京オリンピック記念日本ペンクラブ文学賞」最優秀賞は、イギリスの詩人ジェームス・カーカップの連続詩『海の日本』に授与。5月、「ベトナムにおける事態を憂うる」声明を発表。7月、第33回国際ペン・ブレド(ユーゴスラビア)大会に代表高橋健二、杉捷夫を派遣。テーマ「作家と現代社会」。10月、川端康成が会長辞任。後任に芹沢光治良を第5代会長に選出。11月、「創立30周年記念祝賀会」開催。
  •  1966年(昭和41年)
    2月、日本ペンクラブ創立記念日(11月26日)を「ペンの日」に制定。6月、第34回国際ペン・ニューヨーク(アメリカ)大会に代表伊藤整、立野信之を派遣。大会テーマ「作家と独立精神」。
  •  1967年(昭和42年)
    3月、『日本ペンクラブ三十年史』刊行。7月、第35回国際ペン・アビジャン(アイボリーコースト)大会に代表大竹勝を派遣。大会テーマ「文芸における発想の源としてのアフリカ神話」。
  •  1968年(昭和43年)
    9月、公開討論会「日本文学は海外でどう読まれているか」を開催。12月、川端康成がノーベル文学賞を受賞。
  •  1969年(昭和44年)
    9月、第36回国際ペン・マントン(フランス)大会に代表太田三郎を派遣。大会テーマ「レジャー時代の文学」。
  •  1970年(昭和45年)
    6月、第37回国際ペン・ソウル(韓国)大会に阿川弘之、平林たい子を派遣。ゲスト・オブ・オナーに川端康成、草野心平。大会テーマ「文学におけるユーモア―東と西」。アジア作家会議(台北)開催。団長立野信之、他11名が参加。ゲスト・オブ・オナーに川端康成。テーマ「今日のアジアの作家たちが直面している問題」。
  •  1971年(昭和46年)
    5月、港区赤坂9丁目の秀和レジデンシャルホテルに事務局を移転。9月、国際ペン創立50周年記念第38回国際ペン・ダブリン(アイルランド)大会に代表曽野綾子を派遣。大会テーマ「文学の変貌―過去50年間の文学的な発展の跡をたどる」。
  •  1972年(昭和47年)
    4月、ロンドンの国際ペン執行委員会に中屋健一を派遣。第16回総会で常務理事新設が可決、遠藤周作、三浦朱門を選任。11月、西ベルリンの国際執行委員会に竹本忠雄を派遣。11月18〜23日、「日本文化研究国際会議」を東京、京都で開催。参加39カ国、国外参加者181名、在日外国人参加者88名、日本人参加者238名、オブザーバー113名。
  •  1973年(昭和48年)
    5月、ストックホルムの国際執行委員会に藤島泰輔を派遣。12月、ロンドンの国際執行委員会に中屋健一を派遣。
  •  1974年(昭和49年)
    2月、作家ソルジェニーツィン逮捕に対し、即時釈放を求める抗議電報をソ連政府などに打電。7月、金芝河の減刑要請のため藤島泰輔、白井浩司、井口順雄事務局長を韓国へ派遣。記者会見における藤島発言に端を発したジャーナリズムの日本ペン批判、退会者相次ぐ。8月、緊急理事会で藤島発言は個人的見解と発表。9月、緊急理事会で事態収拾のための再建委員会(委員長石川達三)発足を決定、全理事辞表を提出。10月、再建委員会による理事選挙。臨時総会で定款改正、理事改選を承認。11月、新理事会で第6代会長に中村光夫、副会長に山本健吉、桑原武夫、専務理事に佐伯彰一、常務理事に杉森久英、土岐雄三を選任。
  •  1975年(昭和50年)
    5月、石川達三を第7代会長に選出。6月、副会長に北條誠、専務理事に杉森久英、常務理事に村松剛、野坂昭如、土岐雄三を選任。11月、第40回国際ペン・ウィーン(オーストリア)大会に代表佐伯彰一、高橋健二を派遣。テーマ「30年間のヨーロッパの平和と文学」。
  •  1976年(昭和51年)
    3月、金芝河裁判を傍聴のため国際ペンの委嘱で土岐雄三、大野明男が訪韓。4月、台北で開かれたアジア作家会議に代表として石川達三、佐伯彰一、向井啓雄、奥山益朗を派遣。テーマ「アジア文学における30年間の混乱」。8月、第41回国際ペン・ロンドン大会に代表太田三郎、村松剛を派遣。テーマ「イマジネーションの真実」。
  •  1977年(昭和52年)
    1月、韓国の詩人、金芝河の実刑判決に対する声明を発表。5月、ハンブルクの国際執行委員会に高橋健二を派遣。7月、第8代会長に高橋健二を選任。副会長に杉森久英、田辺茂一、中屋健一、専務理事に土岐雄三、常務理事に井上ひさし、早乙女貢を選任。11月、「『愛のコリーダ』裁判と刑法175条に対する基本的見解」発表。12月、第42回国際ペン・シドニー(オーストラリア)大会に代表越智道雄、袖井林二郎を派遣。ゲスト・オブ・オナー中屋健一。大会テーマ「文学、アジアとヨーロッパ文化のかけ橋」。韓国で投獄されている金芝河の窮状について深い憂慮を表明するステートメントを発表。
  •  1978年(昭和53年)
    4月、総会で定款の一部を改正し、政治的抑圧を受けている文筆家を支援する「客員会員」制を設ける。5月、金芝河らを客員会員に。第43回国際ペン・ストックホルム(スウェーデン)大会に代表齋藤襄治、福田陸太郎を派遣。7月、第1回「日本ペンクラブ土曜セミナー」開催。10月、バルセロナ国際会議での国際執行委員会に小中陽太郎を派遣。
  •  1979年(昭和54年)
    1月、全会員に対し「元号」に関するアンケート。その結果にもとづき「元号法案に対して」声明を発表。4月、日本ペンクラブ編アンソロジー刊行始まる。7月、第44回国際ペン・リオデジャネイロ(ブラジル)大会に代表桑原武夫、夏堀正元を派遣。テーマ「文学表現とマスコミ」「文学と児童」。9月、「四畳半襖の下張裁判」の東京高等裁判所の有罪判決に対し声明発表。11月、ロンドンでの国際ペン代表者会議に竹内孝次、眉村卓を派遣。
  •  1980年(昭和55年)
    5月、ブレド(ユーゴスラビア)での国際ペン代表者会議に早乙女貢、竹内孝次を派遣。中国ペン加盟を可決。6月、元韓国ペン会長高銀に対する軍事裁判を憂慮する声明を発表。9月、「『情報公開法』制定に関する声明」を発表。
  •  1981年(昭和56年)
    2月、「四畳半襖の下張裁判」の最高裁判決について声明を発表。コペンハーゲン(デンマーク)での国際ペン代表者会議に竹内孝次を派遣。5月、第9代会長に井上靖を選出。副会長に桑原武夫、杉森久英、中村光夫、専務理事に巌谷大四、常務理事に早乙女貢、三好徹を選任。7月、「教科書検閲に抗議の声明」を発表。9月、第45回国際ペン・リヨン(フランス)大会に代表高橋健二、戸張智雄を派遣。大会テーマ「危機をはらむ世界、文学への脅威」。大会で1984年の第47回国際ペン東京大会開催を可決。10月、第1回「獄中作家の日」講演会を開催(以後、毎年1回開催)。
  •  1982年(昭和57年)
    3月、国際ペン東京大会運営委員会を発足。3月、ロンドンでの国際ペン代表者会議に巌谷大四、小中陽太郎を派遣。6月、東京大会のメーンテーマを「核状況下における文学―なぜわれわれは書くのか」に決定。10月、第2回「獄中作家の日」講演会開催。11月、ロンドンの国際ペン代表者会議に秋川陽二を派遣。
  •  1983年(昭和58年)
    4月、理事改選。常務理事に生島治郎、土岐雄三、夏堀正元の3名が東京大会開催のために補充選任される。5月、国際ペン東京大会前年祭を開催。ベニスの国際ペン代表者会議に福田陸太郎、秋川陽二を派遣。9月、第46回国際ペン・カラカス(ベネズエラ)大会に代表小中陽太郎、秋川陽二を派遣。大会テーマ「新旧世界間の交差点としてのラテン・アメリカ文学とその文学動向」。10月、第3回「獄中作家の日」講演会を開催。
  •  1984年(昭和59年)
    3月、国際ペン東京大会代表者会議日本代表に生島治郎、越智道雄を選出。4月、年次総会で会員数が1000名を超えたことを報告。5月14〜18日、新宿京王プラザホテルで第47回国際ペン東京大会開催。参加センター45、海外から参加219名、日本ペン会員参加351名、一般参加53名。テーマ「核状況下における文学―なぜわれわれは書くのか」。代表者会議で核兵器の廃絶についての決議案ほか可決。井上靖会長が国際ペン副会長に決定。10月、第4回「獄中作家の日」開催。11月、ロンドンの国際ペン代表者会議に福田陸太郎、秋川陽二を派遣。
  •  1985年(昭和60年)
    3月3日、東京において第1回「平和の日」の集い開催(以後、毎年開催)。5月、ブレドの国際ペン平和委員会に井出孫六、小中陽太郎を派遣。サンマリノの国際ペン代表者会議に越智道雄、渡邊守章を派遣。6月、第10代会長に遠藤周作を選出。7月、副会長に巌谷大四、芝木好子、福田陸太郎、三浦朱門、専務理事に尾崎秀樹、常務理事に磯田光一、大岡信を選任。10月、第5回「獄中作家の日」を開催。11月、日本ペンクラブ創立50周年記念「ペンの日」懇親会開催。12月、国際ペン東京大会の論集『文学者の声’84』を刊行。
  •  1986年(昭和61年)
    1月、第48回国際ペン・ニューヨーク(アメリカ)大会に代表大岡信、袖井林二郎を派遣。ゲスト・オブ・オナー安部公房、大会テーマ「作家の想像力と国家の想像力」。3月、第2回「平和の日」の集いを開催。6月、第49回国際ペン・ハンブルク(西ドイツ)大会に代表福田陸太郎、高木四郎を派遣。テーマ「現代文学に反映された現代史」。10月、第6回「獄中作家の日」を開催。12月、「防衛機密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」反対声明を発表。
  •  1987年(昭和62年)
    3月、第3回「平和の日」埼玉の集い開催(以後、毎年各地方自治体と共催)。5月、第50回国際ペン・ルガーノ(スイス)大会に代表秋川陽二、巌谷大四を派遣。ゲスト・オブ・オナーに三浦哲郎。テーマ「境界の文学」。副会長に齋藤茂太を新任。10月、第7回「獄中作家の日」開催。11月、『日本ペンクラブ五十年史』刊行。12月、第51回国際ペン・サンファン(プエルトリコ)大会に代表秋川陽二、高田宏を派遣。テーマ「アメリカの小説におけるヒーローまたはヒロイン」。
  •  1988年(昭和63年)
    3月、第4回「平和の日」神奈川の集いを開催。8月、会員アンケートにもとづく『「国家機密法」-私たちはこう考える』を刊行。第52回国際ペン・ソウル(韓国)大会に代表秋川陽二、生島治郎を派遣。ゲスト・オブ・オナー遠藤周作。テーマ「急速に展開する社会における文学の変動と恒久性」。10月、第8回「獄中作家の日」開催、「国家機密法」についてのトークインを行う。11月、韓国の獄中作家5名を客員会員に選出、釈放要請の声明を発表。
  •  1989年(平成元年)
    3月、第5回「平和の日」山梨の集い開催。8時間マラソントーク「私たちの言論表現は守られているか」開催。4月、第11代会長に大岡信を選出。副会長に梅原猛、大江健三郎、大庭みな子、専務理事に尾崎秀樹、常務理事に高田宏、三好徹を選任。5月、第53回国際ペン・マーストリヒ(オランダ)大会に代表秋川陽二を派遣。テーマ「イデオロギーの終焉―20世紀末文学における人間像」。9月、第54回国際ペン・トロント、モントリオール(カナダ)大会に代表高田宏、堀武昭を派遣。テーマ「作家―自由と権力」。10月、第9回「獄中作家の日」開催。
  •  1990年(平成2年)
    1月、緊急理事会で「長崎市長狙撃事件に対する抗議声明」発表。3月、第6回「平和の日」静岡の集い開催。5月、第55回国際ペン・フンシャル(ポルトガル領マデイラ島)大会に代表秋川陽二、越智道雄を派遣。10月、第42回「フランクフルト・ブックフェア」に日本ペンクラブ編の『翻訳リスト』(Japanese Literature in Foreign Languages 1945~1990)を出展。第10回「獄中作家の日」開催。11月、日本ペンクラブ創立55周年記念「ペンの日」懇親会を開催。
  •  1991年(平成3年)
    3月、パースの国際ペン・アジア太平洋地域会議に代表眉村卓、西村六郎、堀武昭を派遣。テーマ「2000年に向けての言論の自由、作家の責任」。第7回「平和の日」仙台の集い開催。4月、「湾岸戦争に関する討論集会」開催。パリの国際ペン代表者会議に竹村日出夫、秋川陽二を派遣。7月、サルマン・ラシュディ著『悪魔の詩』翻訳者殺害に関する「声明」発表。10月、第11回「獄中作家の日」開催。11月、第56回国際ペン・ウィーン(オーストリア)大会に代表西山千、西村六郎を派遣。テーマ「新しい自由の構造―診断と治療としての文学」。
  •  1992年(平成4年)
    3月、第8回「平和の日」金沢の集い開催。4月、第1回「PEN月例談話会」開催(以後、6回開催)。第57回国際ペン・バルセロナ(スペイン)大会に代表井出孫六、小中陽太郎を派遣。テーマ「21世紀の幕開けに臨む作家と言語の問題」。10月、第12回「獄中作家の日」開催。11月、第58回国際ペン・リオデジャネイロ(ブラジル)大会に代表早乙女貢、森山隆を派遣。テーマ「作家と自然」。
  •  1993年(平成5年)
    3月、第9回「平和の日」岐阜の集いを開催。4月、第12代会長に尾崎秀樹を選出。副会長に梅原猛、大江健三郎、大庭みな子、三好徹、専務理事に早乙女貢、常務理事に井出孫六、小中陽太郎を選任。7月、「教科書検定に関する声明」発表。8月、臨時理事会を開催。韓国出身慰安婦に関する韓国ペン書簡への対応を討議、謝罪と今後の対応を慎重にする旨の書簡を会長名で韓国ペン会長宛に送付。9月、第60回国際ペン・サンティアゴデコンポステーラ(スペイン)大会に代表早乙女貢、小中陽太郎、森山隆を派遣。大会テーマ「文学の道」。10月、第13回「獄中作家の日」に韓国から韓勝憲、金源一両氏が参加。テーマ「韓国、日本における文学と人権―表現の自由と圧殺をめぐって」。
  •  1994年(平成6年)
    3月、第10回「平和の日」長崎の集い開催。9月、日本ペン代表団(団長三好徹以下4名)上海および北京のペンセンターを訪問、日中交流継続の基礎を固める。10月、第14回「獄中作家の日」開催。差別表現に関する研究会主催「差別表現に関するシンポジウム」開催。11月、第61回国際ペン・プラハ(チェコ)大会に代表小中陽太郎、森山隆を派遣。大会テーマ「文学における寛容と狭量」。12月、大江健三郎がノーベル文学賞を受賞。
  •  1995年(平成7年)
    1月、「差別表現」に関する公開研究会を開催。テーマ「放送界における用語規制の実態」。2月、理事会において「阪神淡路大地震」の被災会員に対する2年間の会費免除を決定。3月、第11回「平和の日」広島の集いを開催。5月、第1回日中ペン交流訪中代表団(団長尾崎秀樹以下5名)が北京、西安、上海を訪問。第28回国際作家会議(スロベニア、ブレド)に早乙女貢が出席。7月、フランスの「核実験再開に対する声明」を発表。10月、第15回「獄中作家の日」開催。第62回国際ペン・フリーマントル(オーストラリア)大会に代表越智道雄、森山隆を派遣。代表者会議のみに三好徹が参加。11月、日本ペンクラブ創立60周年を祝う「ペンの日」懇親会を開催。「書籍等の再販廃止に関する声明」、「破防法適用に関する声明」発表。12月、「破防法適用に関する抗議声明」を発表。
  •  1996年(平成8年)
    2月、「沖縄の米軍基地問題に関する声明」発表。3月、第12回「平和の日」京都の集い開催。5月、第1回国際ペン獄中作家会議(コペンハーゲン)に芝生瑞和が出席。6月、人権委員会主催「在日外国人の人権を考える夕べ」開催。11月、第63回国際ペン・グアダラハラ(メキシコ)大会に代表清原康正、森山隆を派遣。11月26〜28日、「アジア・太平洋会議」開催。テーマ「変りゆくアジアの文学」。海外から14ペンセンター、4作家協会などから31名が参加。「言語と文学」「差別と文学」「環境と文学」「戦争と文学」の4分科会に分かれて発表と討議が行われた。同会議に合わせ第1回日中ペン交流中国ペン代表団が来日。
  •  1997年(平成9年)
    3月、第13回「平和の日」長野の集い開催。4月、第13代会長に梅原猛を選出。副会長に井上ひさし、加賀乙彦、三好徹、専務理事に小中陽太郎、常務理事に下重暁子、辻井喬、眉村卓を選任。6月、「諫早湾干拓潮受け堤防に関する声明」発表。人権委員会主催の「人権の集い’97」開催。7月、神戸事件の被疑者少年の顔写真が「フォーカス」に掲載されたことに対する声明を発表。8月、第64回国際ペン・エジンバラ(スコットランド)大会に代表三好徹、堀武昭、森山隆を派遣。10月、第17回「獄中作家の日」開催。第2回日中ペン交流代表団(団長辻井喬以下5名)訪中。「書籍等の再販問題に関する声明」発表。
  •  1998年(平成10年)
    2月、「イラク危機に対する声明」発表。3月、第14回「平和の日」出雲の集い開催。「行政機関の保有する情報の公開に関する法律(仮称)政府原案に対する意見」発表。5月、「諫早湾干拓の現状」を視察(梅原猛、加賀乙彦、小中陽太郎、下重暁子ほか)。「インドの核実験に対する声明」、「パキスタンの核実験に対する声明」発表。6月、第2回国際ペン獄中作家会議(イギリス・チチェスター)に芝生瑞和を派遣。「人権の集いー環境と文学と人権を考える」開催。第2回日中ペン交流中国ペン代表団来日。9月、第65回国際ペン・ヘルシンキ(フィンランド)大会に代表小中陽太郎、下重暁子、森山隆を派遣。「通信傍受法案に対する声明」発表。第1回「文学の夕べ(作家が語る作家)」開催(月1回、1年間)。「アメリカの未臨界実験に対する声明」発表。10月、第18回「獄中作家の日」開催。11月、「ロシアおよびアメリカの未臨界実験に対する声明」発表。ゲストにテリー・カールボム国際ペン事務局長を迎え「ペンの日」懇親会を開催。12月、「イラクへの武力行使に抗議する声明」発表。
  •  1999年(平成11年)
    2月、「国民の知る権利としての情報公開法を求める緊急声明」を発表。3月、第15回「平和の日」伊香保(群馬県)の集いを開催。6月、第66回国際ペン・ワルシャワ(ポーランド)大会に代表三好徹、小中陽太郎、森山隆を派遣。国際ペン執行委員に森山隆が選出される。7月、「国旗国歌の法制化についての意見書」を発表。「人権の集い」開催。9月、第3回日中ペン交流代表団(団長梅原猛以下5名)訪中。9月、衆参両院全議員を対象として「通信傍受法の適用に関する質問書」発送を決定。10月、第19回「獄中作家の日」開催。
  •  2000年(平成12年)
    1月、「公安調査庁の日本ペンクラブ等に対する調査監視への抗議と要求」を発表。2月および3月、「アメリカの未臨界核実験に対する声明」を発表。3月、第16回「平和の日」福井の集い開催。第3回国際ペン獄中作家会議(ネパール、カトマンズ)に今野敏、芝生瑞和を派遣。4月、通常総会でペン新館建設委員会を新設。「個人情報保護法制定についての要望と意見」「特殊法人等に関する情報公開法への要望と意見」を発表。5月、第67回国際ペン・モスクワ(ロシア)大会に代表辻井喬、越智道雄、国際ペン執行委員森山隆を派遣。テーマ「社会変革と文学」「権力と文学」。7月、「人権の集い2000」開催。「月刊誌『噂の真相』への暴力事件についての見解」を発表。9月、「ロシアの未臨界核実験に対する声明」を発表。言論表現委員会第1回シンポジウム「一億総表現者の時代―ネット社会でわたしは”わたし”をどう表現するか」を開催。10月、第20回「獄中作家の日」開催。11月、第3回日中ペン交流中国ペン代表団来日。12月、「『教育改革国民会議』に対する憂慮」を発表。
  •  2001年(平成13年)
    1月、「著作物の再販制廃止に反対する」声明を発表。3月、第17回「平和の日」新潟の集い開催。「『個人情報保護法案』の問題点を指摘する緊急声明」発表。4月、「諫早湾問題に関する緊急声明」発表。  副会長に瀬戸内寂聴、辻井喬、常務理事に阿刀田高を選任。6月、「著作者の権利への理解を求める声明」発表。8月、ペン会員を対象にした「戦争を考える集い」を開催。9月、第1回環境委員会シンポジウム「環境の集い2001-当世山事情」を開催。言論表現委員会・人権委員会合同シンポジウム「いま、表現があぶない」開催。10月、第21回「獄中作家の日」開催。「P.E.N.の主張―テロ対策法案について」発表。11月、「ペンの日」にウェブサイト「ペン電子文藝館」を開館。第4回日中ペン交流代表団(団長阿刀田高以下4名)訪中。12月、第1回女性作家委員会シンポジウム「女性が書くとき―共生・ハードル・幻想」を開催(以後、年1回継続開催)。12月、9・11テロとその報復としてのアフガニスタン侵攻を機に、講演会「いま『戦争と平和』を考える」を開催。
  •  2002年(平成14年)
    2月、「人権擁護法案の『大綱』に関する要望書」を発表。3月、第18回「平和の日」那須の集い開催。「日本ペンクラブから各メディアへの緊急要請書」送付。日本ペンクラブ新館竣工披露。4月、「『有事法制』法案に対する声明」発表。5月、中央区日本橋兜町の「日本ペンクラブビル」に事務局移転。「あらためて個人情報保護法案、人権擁護法案の廃案を求む」を発表。7月、国際ペン会長オメロ・アリディス氏来日記念懇親会および来日記念講演会を開催。「『住民基本台帳ネットワークシステム』の強行に対する抗議声明」発表。9月、環境委員会シンポジウム「環境の集い2002-森から海へつながる物語」開催。言論表現委員会シンポジウム「『激論!作家VS図書館』-どうあるべきか」を開催。第68回国際ペン・マケドニア(オフリド市)大会に代表小中陽太郎、堀武昭を派遣。国際ペン執行委員に堀武昭が選出される。10月、「WiP(ライターズ・イン・プリズン)の日、日本ペンクラブ京都フォーラム『文学の力、表現の冒険。』」を開催(以後、「獄中作家」の名称を対外的に「WiP」と称することとなった)。11月、第4回国際ペン獄中作家会議(メキシコ、サン・ミゲル・デ・アジェンデ)に芝生瑞和、山田英機を派遣。第4回日中ペン交流中国ペン代表団来日に合わせ、日中文学シンポジウム「21世紀の作家と現代生活」開催。12月、女性作家委員会シンポジウム「女性と戦争―表現者になにができるか」を開催。
  •  2003年(平成15年)
    1月、講演会「いま『戦争と平和』を考える」開催。2月、「個人情報保護『修正』法案の廃棄、および抜本的作り替えを要求する意見書」を発表。3月、第19回「平和の日」山形の集い開催。「アメリカ、イギリスのイラク攻撃に抗議する緊急声明」を発表。4月、「個人情報保護法案の審議入りに抗議する緊急アピール」を発表。第14代会長に井上ひさしを選出。副会長に下重暁子、中西進、眉村卓、専務理事に阿刀田高、常務理事に新井満、高橋千劔破、米原万里を選出。5月、「今回の米英軍等によるイラク攻撃について国連に対して実態調査をするよう要請する」書面をアナン国連事務総長宛に送付。7月、「マスコミ懇談会」開催。10月、第23回「WiPの日、自由のために書く―中国亡命作家鄭義と大江健三郎の対話」を開催。10月、第5回日中ペン交流代表団(団長三好徹以下5名)訪中。11月、言論表現委員会シンポジウム「作家・読者・図書館―公貸権を考える」を開催。第69回国際ペン・メキシコシティ(メキシコ)大会に代表阿刀田高、山本厚子、国際ペン理事堀武昭を派遣。「自衛隊のイラク派遣に反対する声明」を発表。12月、女性作家委員会シンポジウム「女性と戦争Ⅱ―心の『教育』をめぐって」を開催。
  •  2004年(平成16年)
    2月、緊急集会「いま、戦争と平和を考える」開催。「自衛隊のイラク派遣に反対する声明」発表。3月、第20回「平和の日」びわこの集い開催。「『週刊文春』の販売差止め命令、異議申立て却下に抗議する声明」発表。環境委員会シンポジウム「第5回環境の集い」を開催。5月、第5回国際ペン獄中作家会議(バルセロナ)に芝生瑞和、田村さと子を派遣。6月、「自衛隊の多国籍軍参加に反対する声明」を発表。人権委員会シンポジウム「表現の自由とプライバシーの保護を問い直す」を山梨学院大学法科大学院と共催。7月、言論表現委員会シンポジウム「言論表現の自由と日本のジャーナリズム」を早稲田大学文学部と共催。9月、第70回国際ペン・トロムソ(ノルウェー)大会に代表阿刀田高、茅野裕城子、国際ペン理事堀武昭を派遣。10月、獄中作家委員会「WiPの日、言葉の牢獄―方言からの出発」を鹿児島県奄美パークと共催。メールマガジン「P.E.N.」第1号発行。11月、栃木県大田原市と共催で「大田原市文学サロン」開催。第5回日中ペン交流中国ペン代表団が来日。12月、女性作家委員会シンポジウム「女性と戦争Ⅲ-報道における女性のイメージ」を開催。
  •  2005年(平成17年)
    2月、緊急集会「いま、戦争と平和を考える」を開催。自衛隊のイラク派遣に反対する声明を発表。3月、第21回「平和の日」松山の集い開催。環境委員会シンポジウム「環境の集いin大田原」を大田原市と共催。5月、堀武昭を常務理事に選任。6月、第71回国際ペン・ブレド(スロベニア)大会に米原万里、吉岡忍、国際ペン理事堀武昭を派遣。10月、言論表現委員会・電子メディア委員会合同シンポジウム「ネットが変える、活字も変わる?-東京でアジアの<言論>を考える」を上智大学ソフィア会と共催。「『共謀罪』新設に反対し、廃棄を求める声明」発表。第6回日中ペン交流代表団(団長吉岡忍以下5名)訪中。栃木県大田原市と共催「大田原市文学サロン」を開催。11月、「文化庁第3回国際文化フォーラム」を文化庁と共催。創立70周年を祝う「ペンの日」懇親会を開催。12月、獄中作家委員会・人権委員会合同シンポジウム「WiPの日、ベトナムを知ってますか?-東南アジア文学と人権」を開催。女性作家委員会シンポジウム「日本文学を読みなおす、女性作家の視点から」を開催。
  •  2006年(平成18年)
    2月、第5回「いま、戦争と平和を考える」集い開催。3月、第22回「平和の日」いわての集い開催。4月、浅田次郎を常務理事に選任。5月、「共謀罪新設に反対し、与党による強行採決の自制を求める」声明発表。第72回国際ペン・ベルリン(ドイツ)大会に代表沼野充義、井出勉、オブザーバー堀武昭を派遣。テーマ「平和なき世界での文学」。7月、「言論の封殺を狙った溝口敦氏への度重なる暴力事件に抗議する」声明を発表。9月、言論表現委員会シンポジウム「現代における作家とは何か」を開催。10月、日中ペン交流中国ペン代表団の来日に合わせ公開シンポジウム「文学と映画」(市川市・市川市文化振興財団と共催)を開催。「北朝鮮の核実験に反対して、関係諸国に非核兵器地帯の拡大を訴える」声明を発表。栃木県大田原市と共催「大田原市文学サロン」開催。11月、「文化庁第4回国際文化フォーラム」を文化庁と共催。
  •  2007年(平成19年)
    2月、アッカーマン国際ペン事務局長を迎えて第6回「いま、戦争と平和を考える」集い開催。3月、第23回「平和の日」秋田の集い開催。5月、第15代会長に阿刀田高を選出。副会長に下重暁子、中西進、眉村卓を再任。専務理事に浅田次郎、常務理事に新井満、高橋千劔破、西木正明、堀武昭、松本侑子、吉岡忍を選任。6月、「自衛隊の監視活動」に対する声明を発表。7月、第73回国際ペン・ダカール(セネガル)大会に堀武昭、井出勉、茅野裕城子を派遣。同大会で堀常務理事が国際ペン理事に当選。2008年2月東京で開催予定の世界P.E.N.フォーラム「災害と文化」に向け第1回実行委員会を開催。8月、「出版社及び著述家に対する法務省勧告に抗議する声明」を発表。9月、例会と合わせクロアチアの詩人ドルゴ・シュタンブク氏の「詩の夕べ」開催。10月、女性作家委員会および日本女流文学者会の合同シンポジウム「女流文学者の記録」共催。「ミャンマー政府による新たな言論弾圧、日本人ジャーナリストの殺害、僧侶・市民の拘束に抗議し、言論の自由の回復を求める声明」発表。栃木県大田原市と共催で「大田原市文学サロン」開催。10月28〜11月2日、第7回日中ペン交流代表団(団長中西進以下5名)訪中。
  •  2008年(平成20年)
    2月22〜25日:世界P.E.N.フォーラム「災害と文化」開催。3月:第24回「平和の日」別府の集い開催。獄中作家・人権委員会シンポジウム「WiPの日、なぜこの国を伝えたいのか―ビルマ報道とジャーナリストの眼」開催。「日本ビデオ倫理協会に対する公権力の介入に抗議する声明」発表。第40回国際ペン平和会議(スロベニア、ブレド市)に代表堀武昭、井出勉を派遣。4月:「自由な表現の場の狭まりを深く憂慮し、関係者の猛省をうながす緊急声明」発表。第7回国際ペン獄中作家会議(スコットランド、グラスゴー市)に代表茅野裕城子、井出勉を派遣。クロアチア・ペンとクロアチア作家協会代表団が来日。6月:言論表現委員会および自由人権協会の共催「言論がアブナイ!『伝えるべきことを伝える大切さ』-少年供述調書と映画『靖国』を事例に考える」を開催。「新型インフルエンザ対策を求める声明」を発表。女性作家委員会シンポジウム「女性と戦争Ⅳ―沖縄集団自決訴訟とNHK番組改変訴訟」開催。9月:第74回国際ペン・ボゴダ(コロンビア)大会に代表堀武昭、井出勉を派遣。同大会で2010年に国際ペン東京大会の開催を満場一致で承認。10月:クロアチア作家協会およびクロアチア・ペン共催「日本文学を紹介する文学イベント」に小林恭二、佐々木譲、関川夏央ほか派遣。11月:栃木県大田原市と共催「大田原市文学サロン」を開催。日中ペン交流中国ペン代表団が来日。創立記念「ペンの日」懇親会に参加、千葉県市川市との共催による公開シンポジウム「旅と文学」にも出演。12月:「中国政府に作家劉暁波氏の拘束を直ちに解くよう求める声明」(獄中作家・人権委員会)発表。
  •  2009年(平成21年)
    1月:国際ペン東京大会2010「環境と文学」実行委員会を開催(以後、毎月開催)/「ガザ地域における恒久的な安全と平和を求める声明」/言論表現委員会シンポジウム「紙の本のゆくえ―文学と図書館の新しい挑戦」
    2月:「『横浜事件』再審裁判において表現の自由の回復を求める声明」
    3月:第25回「平和の日」兵庫・神戸の集い/獄中作家・人権委員会・言論表現委員会合同シンポジウム第27回「WiPの日、死刑―作家の視点、言論の責任」
    4月:「グーグルブック検索訴訟の和解案について」声明
    5月:「北朝鮮の核実験に抗議する声明」
    6月:日本出版学会と合同シンポジウム「グーグルブック検索和解協定を検証する」
    7月13〜18日:東京で国際ペン主催「アジア・太平洋地域会議」/日本出版学会と合同シンポジウム「日本版デジタル・アーカイブを構想する」
    8月:「グーグルブック検索和解協定で米裁判所に異議申し立て」記者会見
    9月:国際ペン東京大会2010記念出版の登録開始
  •  2010年(平成22年)
    1月:日本ペンクラブ・追手門学院共催セミナー「紙の本のゆくえ――文学と図書館の新しい挑戦」 
    2月:「子どもの本」委員会シンポジウム「混迷する世界に”子どもの本”の可能性とは?」/女性作家委員会シンポジウム「女性と政治」/「グーグル・ブック検索訴訟」の公聴会に出席
    3月:第26回「平和の日」奈良の集い
    4月:第14代会長 井上ひさし氏 逝去
    6月:「映画『ザ・コーヴ』上映中止を憂慮する緊急声明」/日本ペンクラブ・国際子ども図書館共催 第1回「いま、世界の子どもの本は?」
    7月:「第17回東京国際ブックフェア2010」主催「読書推進セミナー」にて専務理事浅田次郎氏による講演会「読むこと 書くこと 生きること」/国際ペン東京大会予告シンポジウム
    9月:日本ペンクラブ・国際子ども図書館共催 第2回「いま、世界の子どもの本は?」
    10月:「米国の臨界前核実験に抗議する声明」/第8回大田原文学サロン「時を楽しみ、時を駆ける」
    11月:「田原総一朗氏に対する録音テープ提出命令に反対する声明」/「東京都青少年健全育成条例の修正改定案に反対する声明」
  •  2011年(平成23年)