2018年11月26日(月)「ペンの日」懇親会  講演「私とペン」 中西 進氏(日本ペンクラブ前副会長)

2018年11月26日(月)「ペンの日」懇親会 講演「私とペン」 中西 進氏(日本ペンクラブ前副会長)

 1972年の国際会議は川端康成氏が全体のマネージメントをしていらっしゃいまして、京都でやったのですが、大変な盛会で、題名が何と「日本文化研究」なんですよね。ペンで「日本文化研究」という大会をやること自体が非常に大きな驚きでした。舟橋聖一さんが『源氏物語』の議論をなさる。目を不自由にしていらっしゃるらしいと聞いておりましたけれども、その舟橋さんが壇上に立って『源氏物語』の講義をなさる。所感を述べられる。それが大変崇高な風景のように思えました。
 私はそのとき、二つのことを考えました。
 日本文学研究をペンで考えるということ自体が大学の講義みたいで、あまり意味がなくて、つまらなくて、となりかねない。けれども、私たちが文学と言っておること、文というのは文章のこと、学とは学術のことです。ですから、文学者という人は、文章が上手である、そしてアカデミズムを持っているということになる。そんな達筆な人がおるかということになるかもしれませんが、やはり、深み、あるいは知見というものを持たないと、文章というものはあまり意味がないんじゃないでしょうか。書くということは、すばらしい文章で感動させる、そこに深い意味を訴えていくものがなければいけないんじゃないか。学術というのは、読んで何か視界が開かれる、そういうものを求めて読者は作品を読むのではないかと思います。
 私をペンに誘ってくれたのは高橋健二さんで、彼が会長だった時だと思います。高橋さんは学者で文筆家という両刀使いでいらっしゃいましたから、ペンで「日本文化研究」という集会ができる、そういうものが実現した時代なんですね。
    今、大変な時代になっていますよね。このあいだの憲法をどう考えるかという集いにも、思うところがありました。チコちゃんに叱られるようなことをしていてはいけないと、改めて思いました。
 1972年の大会で、もう一つ感じたことがあります。ペンクラブが1950年代から1970年代にかけて、AA会議、アジア・アフリカ作家会議の人たちと交流し、日本に事務局を置いておりました。今、私の勤め先、富山の文学館で堀田善衛展をやっておりまして(注:講演当時)、日増しに堀田善衛への関心が高まりますと、彼の生き方、物の捉え方が、非常に今日的な感じがしております。その堀田善衛さんが、AA会議の日本事務局長をするということもございました。アジア・アフリカと関連を持って仕事をしていたのが70年代ぐらいまでのペンクラブでした。
 アジア・アフリカという括りが何を意味するんだろうかと改めて考えます。ヨーロッパを中心としたときの域外がアジア・アフリカでして、ここをフィールドワークとして、レヴィ・ストロースなどが新しい知見を発表する。『贈与論』を著したマルセル・モースのフィールドは、メラネシアにおける経済構造でした。ヨーロッパを中心とした人たちが、新しい材料を探ろうとした場所がアジアであり、アフリカでありました。日本もまたアジアの一員なのですが、そこに面白いものがある。
 そのころカナダのアットウッド夫妻が来日されまして、黒井千次さんといっしょにお会いした時、「環太平洋のネイティブの文学を考えてみるのはどうか」と言ったら、「カナダにもそういう文学がある」とおっしゃってくれたのを今でも覚えています。これもA・Aからはすこし離れますが、同類のことでしょう。
 世界的規模の一部として日本ペンクラブがあるという認識にシフトしたのが1972年代以降のペンクラブであったと思います。非常にすばらしいことでありました。
 のちに、私が推されて企画委員長をした国際会議がございましたが、その時考えたのは、やはり環太平洋をめぐる一つの共通意識でした。この意図による国際会議はまだ実現しておりませんが、ペンクラブの国際的な立場を築いていく上で、一つの方法ではないかという気がいたします。
 今大変な時期に来ているというのは、そのとおりであります。トルストイの27歳の時の作品で『5月のセヴァストーポリ』に、「外交官の解決できなかったことを、火薬や血というものであがなって解決することはできない」とあります。戦争は外交の失敗なんですよね。外交が成功していれば戦争はない。戦争だ、戦争だ、ということになるのは、その時代の外交官が駄目だということですよね。そんなつけをまわされて、国民が戦争に駆り出されるなどということは、あってはならないことですよね。
 どうしたらいいかというと、トルストイが『戦争と平和』で戦争を告発したように、ペンで平和をもたらすしかないのではないか。戦争という手段ではなく、言葉という手段で世界の平和を打ち立てていく、それしかないのではないかという気がいたします。私たちは言葉による平和の樹立をこれから掲げる、そのための国際会議をやってもいいでしょう。講演会をやってもいいし、書物を出してもいい。ペンマンたちがこぞって言葉による平和の樹立をしていく。これを国際的なスタンスとしていくことがいいのではないか、というふうに思いました。
 結局のところ私たちは、言葉から始まって言葉に帰る以外に手段はないのではないかと思います。「徹底的に無交戦」と言った人がガンジーだとすると、私たちは言葉を雄弁に使って、言葉によって共感を得る、それが、これからのペンの在り方ではないかという気がいたしました。

(まとめ=日本ペンクラブ会報委員・山名美和子 写真=会報委員・澤田精一)